京焼・清水焼
京焼と清水焼ってどうちがうの?
この質問には京都のやきものの歴史からお話しなければなりません。
本来[京焼]とは京都のやきものの総称です。
[清水焼]とは清水寺の下あたりから五条坂のあたりで焼かれたやきものの事をさしていました。
江戸時代に京都では多くのやきものが造られるようになり、御室焼、押小路焼、粟田焼、清水焼、音羽焼などがありました。
[京焼]には色々な窯があったのです。
江戸中期(18世紀初頭)には粟田焼と清水焼が2大生産地となり、さらに五条坂では磁器の生産に成功し(19世紀)、需要拡大と共に清水焼の生産量は増えました。
需要に応じる為、清水焼の窯元は明治大正期には東山の日吉、泉涌寺地区、戦後は山科清水焼団地、宇治の炭山地域など京都のあちらこちらに広がりました。
全国販売の際には、清水寺の知名度を活かし[清水焼]の名称を前面に出しました。こうして、[京焼] = [清水焼]のイメージができあがりました。
現在は、京都府内で手作りの陶磁器類を伝統的工芸品(経済産業省認定)に指定されている[京焼・清水焼]と呼んでいます。
清水焼ってどんなやきもの?
とよく聞かれますが、一言で答えるのはなかなか難しいです。 他の産地と異なり磁器もあれば陶器もあります。 見た目も製法技法も様々ですが、共通点は京都で手作りされたやきものという事です。
例えば備前焼はその地方で採れる陶土を使い、まき使用の登り窯で焼成されます。 窯元さんが違っても、備前の土を用いほぼ同じ製作方法で作るので一目で備前とわかります。 有田や瀬戸、信楽なども昔から器作りに適したよい土が産出するので焼物の産地として今まで発展しています。
ところが京都では焼物に適した土は今ではほとんど採れません。 ただ長い間、都であった京都は文化の中心でしたから様々な焼物の需要がありました。 それら文化人の要望を受けて、京都の陶工達は各地の陶土を吟味し、配合し、様々な技法を取り入れ、新しい手法を生み出し、新しい器作りをしてきました。
そもそもが受注生産であり、客の好みに応じた多種多様なやきもの、これが、京焼・清水焼の一番の特徴であると言えます。それぞれの窯元さんが様々な手法を用いて手作りで古くからの伝統を大切にしながらも、使い手と共に常に新しいやきものを創造していくことを目指しているのが、京焼・清水焼なのです。
京焼・清水焼の特徴をあげると
- 作家さん、窯元さんの個性が強く、独自の手法で作られる
- 磁器も陶器もある
- 軽い、薄い、雅などが共通する点
- 技巧を凝らすので、価格は少し高め
- 多品種少量生産
- 受注生産で発展した
やきものについて
やきものの種類
大ざっぱに土器、陶器、炻器、磁器の4種類に分けられます。下記の表にまとめています。
いつから(日本で造られた) | 原料 | 焼成温度 | 釉薬 | 特徴 | |
---|---|---|---|---|---|
土器 | 1万4千年前~ | 粘土(陶土) | 500~900℃ | なし | 吸水性あり 透光性なし |
陶器 | 奈良(8世紀)~ | 粘土(陶土) | 800~1200℃ | あり | やや吸水性あり 透光性なし |
炻器 (せっき) | 古墳(5世紀)~ | 粘土(陶土) | 1100~1300℃ | なし | ほぼ吸水性なし 透光性なし |
磁器 | 1610年~ | 磁土+陶石 | 1300℃ | あり | 吸水性なし 半透光性 |
土器、陶器、炻器 は古くから日本で造られ、使われてきたやきものですが、磁器は約400年前の九州でようやく製造できるようになりました。
これは磁器が特殊な原料(磁土・陶石)で造られるため、技術と原料の両方が揃わないと出来なかったからです。
磁器は輝く白い色を持ち、強く、吸水性がないため汚れません。
昔から世界中のあこがれの器でした。
江戸時代前期から、有田の伊万里港から出荷された磁器は遠くヨーロッパや西アジアの国々で愛され、
いまでも各地の博物館や宮殿などに飾られています。
一方、陶器(炻器もふくめて)は、熱を伝えにくい、軽いなどの特性から湯呑や抹茶碗などに好んで使われています。
また、昔からなじみで身近にあったものですから、どこか親しみを感じたり、手造りの温かみを感じるうつわとして今でも愛用されています。
陶器・磁器の性質
この違いは、原料の粘土や釉薬、焼成条件によって生じる。
焼成温度が高いと、硬く吸水性がなくなる傾向。
陶磁器どちらも、衝撃に弱い、急激な温度変化は苦手。
釉薬によっては酸に弱いものもある。
磁器の方が扱いやすく、機械製造にむくため、大量生産品は磁器が多い。
☆貫入(かんにゅう)とは?
磁器の釉薬表面に入る細かいひび割れのようなもの。器が割れている訳ではない。